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PrAha Inc. のブログ、あるいは社員の観察日記

なぜ議論が大切なのか、そして効果的な議論の方法

どうも、PrAha. Inc CEOの松原です。

 

先日、社内向けに「なぜ議論が大切なのか」を明文化ところ、思った以上に好評だったため、内容をそのまま以下に転載します。

 

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今回はチームとして働く上で避けて通れない「意見を主張してぶつけあう事」、つまり議論に関して考えていることを明文化してみます 。

 

アメリカ式の教育では何を教わるのか

僕は自己主張が非常に激しい方です。それは多分教育の影響が強いと考えています。

 

僕は幼稚園から高校までずっとアメリカンスクールに通い、意見を言わないことは失礼だと叩き込まれて育ちました。

 

授業が終わるまでに一度も自分の意見を主張しないと先生に呼び出されて怒られるし、数学の授業であっても「自分とは解法が違う人を見つけてどちらの解法が優れているか議論しなさい」とか、ディベートの部活も盛んだったし、とにかく議論することが生活の中心にある学校生活でした 。

 

アメリカ型の価値観では、自分の意見を述べないことには二つの解釈がなされます。

 

一つ目は 「この人は何も考えていない」
二つ目は「この人は失礼だ」

 

何も言わないということは何も考えていないということだ」と解釈されるので、日本のように「 何も言わない人も言わないなりに考えているはずだ」 とは考えてくれません。なので間違った意見をたくさん言う人よりも、意見を言わない人の方が低い評価を受けてしまいます。

 

また「何も意見がないと言うことは、相手の発言に無関心か、真剣に聞いてないからだ。なんて失礼なやつだ」とも解釈されます。

 

「意見を述べない人は低評価」
「自分の意見を述べることは礼儀」

 

こんな文化圏で育った僕にとって、自分の意見を述べることは呼吸と同じくらいの感覚で染み付いています。

 

なので僕の自己主張の強さに驚く人が居たとしたら、「こういう教育背景から作られた人格なんだな」と見てもらえたらちょうど良いのではないか、と思います。

 

意見を主張することは、「人の集まり」から「チーム」になるために最も重要

こうした背景に加えて、僕は意見を述べること、議論する事を「人の集まり」から「チーム」になる上で最重要だと考えています。

 

各々が自分の意見を主張する事なく、自分の仕事範囲に止まって黙々と作業するのはチームではなく「人の集まり」の状態です。烏合の衆とも言いますね。

 

そうではなく、各々が持ち寄った意見を全力でぶつけあう事で、より良いアイデアに育てていく。異なる視点を持ち合うことで、一人では気づけなかった問題に気付き、それらをまとめて解決する新しいアイデアを生み出していく。

 

こういう事を安心して出来るのがチームで、チームになるためには全力の議論が欠かせないと考えています。

 

チームの定義に関して僕は「タックマンモデル」を参考にしていますが、ここで説明すると長くなりすぎるので今回は割愛します。 興味のある人は是非こちらの入門書を読んでみてください 。


議論する上でとても大事な考え方

ただの人の集まりからチームになるために大事なのは、全力で自分の意見を主張してぶつけるのを(議論する事を)恐れないことです。この時、いくつかの考え方を大事にする必要があります。

 

・全力で自分の意見を主張する
・意見の否定を、人格の否定と切り離す
・個人的に攻撃しない
・行動を提案すること


全力で自分の意見を主張する

周りから見ると僕は「何が何でも自分の意見を通そうとする人 」に見えるかもしれません。

 

その通りです。僕は意見を言う時は、全力で自分の意見を通そうとするのが礼儀だと考えています。

 

「どちらでもいいんだけど」とか「あんま考えてないジャストアイデアなんだけど」みたいな予防線を張ってから自分の意見を言う人が日本には多い気がしますが、これと同じ事を僕の母校で続けると 「じゃあ言わなくていいよ。ここは真剣に意見を言う場だから」と止められます。

 

”Say what you mean”って言われます。直訳で「本心を言ってよ」ですが「本気で言いたいことを言ってよ」「本気になれよ!もっと熱くなれよ!(CV:松岡修造)」みたいな意味でも使われます。

 

スポーツだって同じですよね。本気で練習した方が効果は高いはずです。全員が本気で練習している中に一人だけ本気じゃない人が混じったら、怒られますよね。

 

全員が全力で自分の意見を通そうとするからこそ、議論が白熱して新しいアイデアが生まれる。

だから意見を主張する時は、全力で意見を通そうとすることに躊躇しないでください 。健全なエゴを持つことを恥じる必要はありせん。

 

ただし議論が終わったら、後腐れなしです。


ドイツで働いてた頃、 会議で大声を張り上げて相手の意見を否定していた人同士が、翌朝には仲良くコーヒー飲みながら談笑している姿を何度も見ました 。河川敷で殴り合った後に仲良くなる不良に近い感覚なのでしょうか。

 

「全力で議論するけれども尾を引かない」

 

どうすればこんな事ができるのでしょうか?次のポイントで解説します


意見の否定を、人格の否定と切り離す

人との衝突を避けたいがために議論そのものを避けている人が日本には多いように感じます。これは議論の場数を踏んでいないから起きる「あること」が原因です。

 

それは、意見を否定されるのに慣れていないことです。

 

日本人は圧倒的に意見を否定される経験が少ない。

逆にアメリカ人は意見を否定される経験が豊富です。

僕が12年の学校教育で意見を否定された回数なんて数え切れません。

 

議論を通じて意見を否定される経験を積み重ねていくと、 否定されるたびに心底へこんでいては心がもたないので

 

「意見を否定されただけで個人の人格を否定されたわけではないさ」

 

と気楽に捉えて議論に挑めるようになります。

 

日本では、自分の意見を否定されると怒る(もしくは悲しむ)人をよく見かけます。
これは意見の否定と人格の否定を切り分けられていない人の防御反応だと思います。
確かにこういう人が周りに多いと、自分の意見を言いづらくなりますよね。

 

だからまずは、自分の意見が否定された時に、自分個人が否定されたと思わないように心がけてください。そうして意見を否定されることに慣れてください。意見を否定されることに慣れてくれば、主張するのも楽になるはずです。

 

PrAha Inc.は本当に人の良い社員がそろっているので「相手の意見を否定したら傷つくのではないか」 と遠慮してしまう気持ちは理解できます。だからこそ 「自分は特殊な訓練を受けているので否定されても特に傷つきません」 と言える人が増えてくれば、 より議論しやすくなるのではないでしょうか 。

 

もしどうしても誰かの意見を否定することに不安があればまず僕の意見を否定してください。僕は特殊な訓練(?)を受けているので、 意見を否定されることに抵抗はありません 。

 

ただし前述の通り、全力で意見を主張することが議論の礼儀だと考えているので、おかしいと思った事には全力で反論して、僕の意見を通そうとします。そしたら、あなたも自分の意見を全力で通そうとしてください 。そうして議論を楽しんでいきましょう。

 

議論は相手を打ち負かすためにあるのではありません。自分一人では気づけなかったことに気づき、 より良いものを生み出すのが議論の目的です。意見を否定された時は「その否定意見も併せて解決する方法はないか」と考えるチャンスと捉えて、新しいアイデアを考える方が楽しいのではないでしょうか。

 

議論も「ものづくり」の一環です。一人では生まれなかったアイデアを生み出して、その誕生を一緒に楽しんでいきましょう。


個人攻撃をしない

全力で議論することに慣れてくると一度は発生するのが個人攻撃です。

 

議論が白熱してくると「 どうして理解できないんだ、頭悪いな! 」とか「この間失敗したくせに何偉そうなことを言っているんだ」とか、相手を傷つけるために言葉を使う瞬間が出てくるかもしれません。

 

(逆にこんな事を言いかけた事が一度もなければ、それはまだ本気で議論していない証拠かもしれません)

 

相手の意見ではなく相手そのものを否定したり、「君の話だから聞かない」みたいな相手に合わせた議論をし始めると、 議論の前提にある信頼関係が崩れます。これが「 心理的安全性 」が欠けている状態ですね 。

 

これだけはしないように注意しましょう。

一度でも個人攻撃をすると信頼が失われて、 その信頼は長い時間をかけないと取り戻せないと考えてください。


行動を提案する

日本の会社で議論する人を眺めていると 「行動を提案していない 」人をよく見かけます。

 

例えば「新商品を作ろう」と誰かが提案した時に「こんなリスクがあるぞ」と指摘されて、喧々諤々の話し合いが始まったとしましょう。

 

僕はこれを「議論」だとは考えていません。

 

議論はお互いに「こうすべきだ」と行動を主張し合うことが原則です。
片方が行動を主張して、もう片方がその問題点を指摘しているのは議論ではありません。質疑応答です。

 

もし問題を指摘した方が「今は既存商品にリソースを集中しよう」と行動まで言い切っていたなら、議論が成立していると思います。もしくは「何もしない」事を主張するのも、有効な行動提案です。

 

でも実は質疑応答をしているだけなのに、自分は議論をしていると勘違いしてしまうのは不健全です。これまた母校の話ですが、質問ばかりしている人は「で、あなたの意見は?」と聞かれます。

 

ラクラシーの議論も、質問と反対フェーズに別れていますよね。あれはすごく明確にアメリカ式の討論のフォーマットに則っているなぁ、と思いました。

 

相手の主張を理解するために質問することは非常に重要です。でも意見を言うことを忘れて、質問だけで終わらないように気をつけてください。


まとめ

以上が僕の議論に対する考え方です。

 

・僕は議論をする事が当然の環境で育った

・だから僕の主張の強さに驚くことがあったら、そういう環境で育ったからなんだなと考えてもらえたらちょうどいいかもしれない

・議論は、「人の集まり」から「チーム」になる上で最も重要

・議論をするためには4つの考え方が大事

 ・全力で主張する事

 ・意見の否定を人格の否定と切り離す

 ・個人攻撃をしない

 ・行動を提案する

 

PrAha Inc.が日本で最も活発に議論が交わされるチームになってくれたら嬉しいです。